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プロジェクトXプロジェクトX 産業界の新たな挑戦 17巻セット収録タイトル一覧 窓際族が世界規格を作った〜VHS・執念の逆転劇〜「夢中でしたね。夢中っていうのは大変すばらしいことだと思う。それも神様が、私の回りにこんなにもすばらしい人たちを置いてくださったからです。ぜひ皆さんも、何でもいいから夢中になってください。」高野鎭雄 日本人が初めて生み出した世界規格「VHS」。
その快挙は、当時、弱小といわれていた家電メーカーの技術者たちの「意地」の成果だった。 出演:佐藤正明(ノンフィクション作家)/大曽根収(元日本ビクター) ![]() ![]() ![]() 妻へ贈ったダイニングキッチン〜勝負は一坪・住宅革命の秘密〜「狭い住宅にしか供給できない自分が、大きな家には住めない。」尚明 「もはや戦後ではない」といわれた昭和30年は、東京への一極集中が始まった年だった。年間30万人ずつ膨れ上がる東京の人口。国は日本住宅公団を設立し、住まいの大量供給に乗り出したが、住宅一戸あたりの建設費はおよそ70万円、床面積は13坪がギリギリであった。 「狭いながらも楽しい我が家」は造れないだろうか・・・。男女3人の建築家が、1センチもおろそかにせずにすむ設計に取り組むことになった。公団の初代住宅計画部課長・尚明(しょう・あきら)氏は、沖縄・琉球王朝の流れをくむ名家に育ったが、戦災で家を失い、バラック住宅での生活を続けており、北側の寒い台所で震えながら炊事をする妻・道子の姿を見て、南側にキッチンを作る設計を提案。さらに残業や早朝出勤をする都会生活者の暮らしを研究する中で、台所に椅子とテーブルで食事を取るスペースをつけたダイニングキッチンの構想が固まっていった。 都会暮らしの憩いの場として、家庭の主婦が働きやすい空間として生み出された「ダイニングキッチン」。宝くじに当たるより難しいといわれ、人気を集めた「ステンレス流し付き公団住宅」のプロジェクトとその背景にあった夫婦愛の物語を伝える。 出演:栗原はるみ(料理研究家)/来生えつこ(作詞家) 町工場、世界へ翔ぶ〜トランジスタラジオ・営業マンの闘い〜「北極でもうまい氷なら売れる。それをやるのが営業マンだ。」小松万豊 世界中にその品質の高さを知られる日本の工業製品。しかし、かつて「メイドインジャパン」といえば、「安かろう、悪かろう」の代名詞だった。 その偏見を打ち破った革命商品がある。昭和30年、ソニーが開発した「トランジスタラジオ」。世界各国で、爆発的に売れた陰には、命がけで海を渡った営業マンたちの壮絶な格闘のドラマがあった。 異国の地では、想像を絶する『偏見』との闘いが待っていた。ドイツでは1年間1台のラジオも売れず、担当者は過労で倒れ、強制送還。アメリカでは故障で返品が相次ぎ、撤退の危機に瀕した。苦境を乗り越えるバネとなったのは、「輸出で外貨を稼ぎ、日本を再建したい」という思いだった。営業マンの多くが「敗戦」を背負っていた。 広島で被爆した者、空襲で家を焼かれた者。営業マンたちの奮闘は、次第に「メイドインジャパン」を欧米に認めさせていく。トランジスタラジオを売るために、世界各地で奮闘した営業マンたちの熱い闘いを描く。 出演:小松万豊(元ソニー(株)外国部) 液晶執念の対決〜瀬戸際のリーダー・大勝負〜「一生懸命 研究して、成果出して…。みんな幸福になって欲しいですからね。」 和田富夫 世界初の「液晶ディスプレイ」の実用化に成功したのは、かつて開発に失敗した技術者と何も知らない新入社員たち。和田富夫をリーダーとする日の当たらない場所にいた技術者たちがサラリーマン人生をかけて開発に打ち込んだ執念のドラマを描く。 出演:和田富夫(元シャープ中央研究所)/船田文明(元シャープ中央研究所) ![]() 逆転田舎工場世界を制す〜クオーツ・革命の腕時計〜「どこよりも正確な時計を作って見返そう。見せかけではなく、本物を作るんだ。」山崎久夫 世界初のクオーツ腕時計は時を限りなく正確に刻む夢を叶えた。今やクオーツは全世界の腕時計の98%を占めるまでになった。世界中の技術者が挑戦してもできなかったクオーツ腕時計の開発は困難を極めた。奇跡の時計の開発。今に語り継がれる逆転のドラマを描く 出演:藤田欣司(元諏訪精工舎(セイコーエプソン))/坂本求吉(元諏訪精工舎(セイコーエプソン)) 国産コンピューター ゼロからの大逆転〜日本技術界伝説のドラマ〜「北極でもうまい氷なら売れる。それをやるのが営業マンだ。」小松万豊 世界中にその品質の高さを知られる日本の工業製品。しかし、かつて「メイドインジャパン」といえば、「安かろう、悪かろう」の代名詞だった。 その偏見を打ち破った革命商品がある。昭和30年、ソニーが開発した「トランジスタラジオ」。世界各国で、爆発的に売れた陰には、命がけで海を渡った営業マンたちの壮絶な格闘のドラマがあった。 異国の地では、想像を絶する『偏見』との闘いが待っていた。ドイツでは1年間1台のラジオも売れず、担当者は過労で倒れ、強制送還。アメリカでは故障で返品が相次ぎ、撤退の危機に瀕した。苦境を乗り越えるバネとなったのは、「輸出で外貨を稼ぎ、日本を再建したい」という思いだった。営業マンの多くが「敗戦」を背負っていた。 広島で被爆した者、空襲で家を焼かれた者。営業マンたちの奮闘は、次第に「メイドインジャパン」を欧米に認めさせていく。トランジスタラジオを売るために、世界各地で奮闘した営業マンたちの熱い闘いを描く。 出演:小松万豊(元ソニー(株)外国部) ![]() ![]() ![]() 男たちの復活戦 デジタルカメラに賭ける「医者というのは、患者のためにいるわけで、医者としての地位や名誉などどうでもいいことです。大切なのは、医者が患者から見捨てられないようにすることです。」須磨久善 平成8年12月3日、日本で初めての画期的な外科手術が行われた。動いている心臓をメスで切りとる「バチスタ手術」である。死を宣告された心臓病の患者に生の希望を与える劇的な手術だった。あまりに高度な技術を要するため、それまで日本では取り組む医師がいなかった。 出演:須磨久善(湘南鎌倉総合病院心臓外科医)/大島光雄/大島則子 ![]() 家電元年最強営業マン立つ〜勝負は洗濯機〜「ライバルはお客のこころである。」 井植歳男 昭和28年。日本人の暮らしを大きく変える製品が現れた。日本初の噴流式洗濯機「SW-53」。頑固な汚れを7分で落とす性能。狭い日本の住宅に適したコンパクトなボディ。価格は従来の外国製洗濯機の半分。家電製品としては初めて、年間6万台を売り上げる大ヒット商品となり、家電時代の扉を開けた。 挑んだのは、三洋電機社長の井植歳男。井植は、14歳から義理の兄・松下幸之助が始めた松下電器を手伝い、大きく成長させた辣腕営業マンだった。しかし終戦後、GHQの公職追放令で、松下を去った。そして自転車用ランプの生産を手がける小さな会社「三洋電機」を作った。 当時、女性にとって洗濯は最も過酷な家事だった。道具はたらいと洗濯板だけ。1日数時間かかる過酷な手作業。5人家族で1年間に洗う洗濯物は2万枚、重さは象1頭分になった。 井植は琵琶湖の畔の古びた工場を買い取った。そこは、業績不振で閉鎖された元・松下金属の工場。後片付けをしていた若い技術者がいた。山下友一、27歳だった。山下たち6人の社員は井植から庶民には高嶺の花といわれた電気洗濯機の開発を託された。 大手メーカー各社も開発にしのぎを削る中、井植は言った。「ライバルは他社ではない。お客のこころだ。」メンバーは高性能で安価、電力事情の悪い日本の家庭でも使える洗濯機の開発をめざす。新婚の山下は洗濯で荒れた妻の手を見て奮起した。 しかし、やっと作り上げた洗濯機は売れなかった。「女性の仕事に機械はいらない、ぜいたくだ。」と男性中心の社会の意識が壁となっていた。その時、「伝説の営業マン」井植があの手この手の営業作戦に打って出た・・・。 お客の心」にこだわり、日本の家電時代を切り開いた男たちの熱きドラマを描く。 出演:山下友一(元三洋電機)/岡田隆夫(元三洋電機) 運命の最終テスト〜ワープロ・日本語に挑んだ若者たち〜「今はまだ日本語の大海原に漕ぎ出したばかりだ。いつかきっと大陸が見える。」 森健一 48字のひらがなと5万の漢字がおりなす世界に冠たる美しい言葉、日本語。しかし戦後、日本語はその複雑さゆえ、経済復興の足かせとなった。 昭和40年代、高度成長期の日本は企業間の取引が増大。サラリーマンたちは契約書の作成に追われていた。欧米の企業は26文字のアルファベットを駆使、誰もがタイプライターで契約書を作った。一方、日本では活字が打てるのは数少ない和文タイピストだけ。順番を待ちつづけ、誤字があればまた待った。サラリーマンたちは長い残業に耐えていた。公の文書を作るコストは、欧米の3倍と言われた。 その日本語の壁に、東芝の若き技術者・森健一と工場の男たちが立ち向かった。文章を加工する機械「ワード・プロセッサー(ワープロ)」。かなを一瞬にして漢字に変換する、不可能と言われた技術に挑んだ。 しかし、同音異義語、同じ発音の言葉を機械は区別できない。「貴社の記者は汽車で帰社する」どうやったら正しく変換できるのか。また、変換するのに20秒以上かかる言葉もあった。そして突然、商品化を決定する事業部長から開発中止命令が下った。 絶体絶命に陥ったプロジェクトは、一度限りのワープロの性能テストに全てを賭け、機械の操作を一人の女性に託した。タイピストではなく、総務の事務員。「素人でも使えなければ意味が無い。」 累計3千万台を売り上げ、国民的商品となったワープロの執念の開発物語を描く。 革命トイレ 世界を制すトイレは人の暮らしを支える尊い商品だ。誇りを持って取り組め。」 杉原周一 心地よいお湯でお尻を洗い温風で乾かす「温水洗浄便器」は、古来「ご不浄」と呼ばれ、不潔の代名詞だったトイレのイメージを、「快適」で「清潔」な空間へと変えた革命的な製品である。 昭和45年、高度成長の只中にあった日本では、マイホームを求め、空前の建築ラッシュが起きていた。国内最大手のトイレメーカー・東洋陶器(現 TOTO)で、水洗トイレの金具を設計する部署に配属された本村久は、その技術を甘く見ていた。しかしある日、本村は上司から一喝される。金具工場長の杉原周一。戦前、戦闘機の尾開発に携わり世界にその名を轟かせた伝説の技術者。金具の鬼と言われた杉原との出会いによって本村は技術者の誇りに目覚める。 その矢先だった。二度のオイルショックの波が会社に襲い掛かる。「新しい柱となる商品を開発せよ」本村たち若手技術者に社運を賭けた指令が下る。任されたのは「洗浄便器」。 その開発は困難を極めた。お尻を洗うお湯の最適の温度と角度を見つけるために300人のデータを集め、自ら実験台となり試作を繰り返す。さらに、微妙な温度を制御するには最新式の電子回路技術が必要だった。しかし、感電の可能性のある電子回路の使用は危険な賭けだった。 発売した商品には、クレームが殺到。会社の廊下に返品された便座があふれた。プロジェクトは夜を徹して改良に当たる。そして昭和55年、温水洗浄便座「ウォシュレット」が完成。しかし、「トイレ」「おしり」は当時のメディアでは「タブー」。男たちは一人の天才コピーライターとともに誇りを賭け、一か八かの大勝負に打って出た。 世界商品となった革命トイレに挑んだ技術者たちの物語を描く。 突破せよ 最終特許網 新コピー機 誕生「ライバルは1社だけ、独自の複写機を作れば大きなチャンスです。」 田中宏 アメリカの巨大な富を守ってきた盾がある。発明した技術を独占的に使える特許である。そのアメリカで最強の特許に守られた製品があった。普通紙複写機、コピー機である。特許はじつに1,100件。特許を持つゼロックスは、世界シェア100%を誇っていた。名うての弁護したちが世界中に目を光らせ、だれもコピー機を作れなかった。その難攻不落の特許網に挑んだ日本人たちがいた。 昭和35年、アメリカで開かれた事務機器見本市に電子複写機を持ち込んだ印画紙メーカーの技術者・田中宏は、ゼロックスが開発した世界初の普通紙複写機に衝撃を受けた。そのころ、キャノンカメラはカメラのトップメーカーだったが、市場は完全に行き詰まっていた。生き残りをかけ、キャノンは新たな人材を求めた。その面接に田中がやってきた。「普通紙複写機を作ってみせます。」 昭和39年、田中をはじめ、14人の若者たちが集結し、プロジェクトが動き出した。特許課の丸島儀一は、取り寄せたゼロックスの英文特許と格闘した。1つでも特許を侵害すれば訴えられる。 独自技術の開発は困難を極めた。試作機が作られ、極限の耐久テストが繰り返された。2交代制で試作機を動かし続けた。1万枚のコピーを終えた時、異変が起こった。2000ボルトの放電で感光体に穴が開いた。さらにテストを続けるとトナーで紙が真っ黒になった。7年たっても商品化できず、社内で非難の声が上がった。そして、1通の手紙が届いた。「特許侵害」…。 挫折を味わった技術者と日陰で耐えた特許マン、そして男たちの運命を切り開いた1台の複写機。世界の技術者たちの語り継がれる伝説の逆転劇を描く ![]() 執念のテレビ 技術者魂30年の闘い「自らのビジョンを持ちなさい。新しい技術には勇気を持って取り組みなさい。」 高柳健次郎 大正15年、浜松市の工業学校の一室で、信じられない実験が行われた。手書きの「イ」の字を電子画像に映し出すというテレビ実験。歴史的な快挙だった。挑んでいたのは若き研究者、高柳健次郎。ここからテレビの時代は始まった。 高柳は一人で電子カメラの開発に挑んだ。最大の壁は撮像管。カメラの中で動く映像を捉える要の部品。8年間研究したが、辿りつけなかった。ある日、アメリカで撮像管が完成したというニュースが飛び込んだ。開発したのは世界有数のラジオメーカーRCA。アメリカに渡った高柳は衝撃を受けた。電子工学やガラス加工、真空管技術、各分野の技術者数十人が集まり、撮像管を完成させていた。帰国した高柳は、技官や学生など20人を集め、プロジェクト型開発に挑み始めた。そして1年後、独自の撮像管が完成した。 間もなく、日本放送協会から昭和15年に東京で開催されるオリンピックに向けて、テレビの開発を依頼される。高柳はプロジェクトのメンバーとともに浜松を離れ、東京のNHK技術研究所で、放送実現に向けて開発に邁進する。しかし日本は戦争への道をひた走り、オリンピックは幻に消えた。テレビ放送開発は中止、プロジェクトチームも解散を余儀なくされる。高柳は海軍に徴兵され、レーダー開発を命じられた。 そして終戦。高柳は「日本の復興のためにテレビを産業に育てよう」との思いを胸に抱く。ところがGHQから「テレビ研究は電波兵器につながる。禁止だ」と拒否される。さらに高柳自身、戦争協力者だとして職を追われてしまう。 しかし高柳は諦めなかった。GHQから研究禁止が解除されると、メーカーの壁を越えてプロジェクトの結成を呼びかけ、テレビ開発を再開。昭和28年2月 1日の日本初のテレビ放送開始に向けて動き出す−。テレビに賭けた一人の技術者とそれを支えた仲間たちの30年にわたる壮大なドラマ。 家電革命 トロンの衝撃「基本ソフトは情報化社会の基盤。空気や水と同じです」 携帯電話、デジタルカメラ、カーナビ。日本が世界をリードする多くの製品を動かす基本ソフト・トロン。本作ではそのトロンを考案した日本人学者、坂村健の苦悩の末の執念の大逆転的の物語を描く。 プラズマテレビ 愛の文字から始まった「技術は愛だ。愛があれば必ず道は開ける」 明石工場の研究員、篠田傅は、プラズマでカラーテレビを作る可能性に賭けていた。赤・青・緑、三原色の蛍光体を使い、試作機を作った。最初に表示したのは「愛」の文字。「技術を育てるのは愛だ」と信じていた。だが、その矢先過労がたたり重度の急性肝炎で2年間入院。開発は打ち切られた上、明石工場の研究部門は閉鎖された。その逆境から成功を導くまでの研究者の執念、それを支えた人々のプロジェクトを描く。 復活の日 ロボット犬にかける「人の真似をするな。新しいことをやれ。それがモノ作りだ」 平成11年、人工知能を搭載し、子犬のように喜び、驚き、そして成長するロボット犬が誕生した。開発に挑んだのはソニー。創業の志を継ぐ技術者だった。プロジェクトリーダーは土井利忠。いつの間にか大企業病に犯されていたソニーにおいてのものづくりの復活をかけたロボット犬開発の挑戦の日々と成功までの奇跡を追う。 食洗機 100万台への死闘〜赤字部署の40年〜性能の悪さから「愚劣な商品」のレッテルをはられた「食器洗い機」。製品誕生以来、普及に40年もの長い時間を要し、プロジェクトが会社の花形部署になるまでの苦闘を描く。 列島踏破30万人執念の住宅地図世界中で日本にしかない地図がある。「住宅地図」、一軒ずつの名が入った詳細図である。日本全国の99.9%をカバーし、緊急自動車の出動や災害時の安否確認などで力を発揮する。しかし地図作りにはさまざまな困難が待ち受けていた…。世界に誇る住宅地図作りの壮絶な物語。 |
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