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 「プロジェクトX 乗り物に夢を賭けた男たち 全13巻セット」

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商品番号  261

プロジェクトX


乗り物に夢を賭けた男たち 13巻セット


49,400円税込

収録タイトル一覧

世界を驚かせた一台の車〜名社長と闘った若手社員たち〜

「当時は、自分のためだけではとてもできないと思っていましたが、今にして思えばやっぱり自分のためだったんだなぁと思うんです。やれば必ずできるんだという自信が、その後の技術者人生を支えてくれましたから。」石津谷彰

アメリカの「マスキー法」に定められた厳しい排ガス規制を初めてクリアし、世界をアッといわせたホンダの「CVCCエンジン」。驚異的な低公害エンジン誕生の陰には、社長・本田宗一郎氏と若き技術者たちの激しい格闘の物語があった。
昭和44年、人気車種に欠陥が見つかったことから、会社存亡の危機に立たされたホンダは、20代の技術者を中心に「低公害エンジンプロジェクト」を立ち上げる。先発大企業の技術の「改良」を試みる若手に対し、独自技術の開発にこだわる社長・本田宗一郎氏。
4年後、プロジェクトは、F1レースで培ってきた「ガソリンを徹底的に燃焼させる」技術を一般エンジンに持ち込み、全く新しい方法で低公害化を実現する。「これで世界一の自動車会社になる」と喜ぶ社長に、若手は「私たちは社会のためにやっているのだ」と反発した。この言葉を聞いた本田宗一郎氏は「自分の時代は終わった」と、まもなく社長の座を降りる。
試行錯誤のエンジン開発の陰で繰り広げられた、名社長と若手技術者たちの世代を越えた心の交流を描く。

出演:中嶋悟(F1ドライバー)/毬谷友子(女優)/渥美実(元本田技術研究所)

世界を驚かせた一台の車〜名社長と闘った若手社員たち〜世界を驚かせた一台の車〜名社長と闘った若手社員たち〜世界を驚かせた一台の車〜名社長と闘った若手社員たち〜

執念が生んだ新幹線〜老友90歳・飛行機が姿を変えた〜

「とにかく戦争はこりごりだった。だけど、自動車関係にいけば戦車になる。船舶関係にいけば軍艦になる。それでいろいろ考えて、平和利用しかできない鉄道の世界に入ることにしたんですよ。」三木忠直

「東京〜大阪3時間への可能性」。昭和32年5月、国電の車内に張り出された講演会の吊り広告が、戦後日本最大のプロジェクト「新幹線」建造の道を開くことになった。
この講演会は、国鉄鉄道技術研究所にいた旧陸海軍出身の技術者たちが中心となって企画したものであった。
中心人物の一人、三木忠直は戦時中、爆撃機の設計を行っていた航空技術者。人の命を奪うための技術開発に心を痛めていた三木は、戦後「人の役に立つものを作りたい」と鉄道技術研究所に入所。「飛行機」の理論を「鉄道」に持ち込み「夢の超特急」を設計する。この計画は、当初国鉄内部では「非現実的」と受け入れられなかったが、講演会の発表が世論を動かし、翌年、新幹線プロジェクトが動き出す。
流線型の車体、振動を吸収する新型の台車、ATC(自動列車制御装置)・・・。旧陸海軍出身の技術者は次々に新しい技術を開発し、昭和38年、新幹線は世界最高速度256km/hを記録。新幹線は世界に日本の技術の高さを見せつけると同時に、欧米の鉄道界をも劇的に変えていく。
戦争の負の記憶を心に秘めながら、戦後「新幹線」に第2の人生を賭けた技術者たちの姿を描く。

出演:田中真一(元鉄道技術研究所)

翼はよみがえった1YS-11・日本初の国産旅客機

「これはやれるなと。それまではやれるか、やれんか、わからんですよ。」土井武夫

零戦をはじめとする数々の戦闘機を開発し、航空王国と言われた日本。その伝統は、敗戦によって途絶えた。GHQによる航空機の生産・研究・実験の禁止は7年間続き、技術の伝承はもはや不可能と誰もが思っていた。
戦後、神戸の職業安定所に並ぶ失業者の中に、英字新聞を片手に順番を待つ男がいた。土井武夫、47歳。戦闘機「飛燕」など、日本で最も多くの航空機の設計に関った技術者だった。日雇いまがいの仕事をしながらも、土井はもう一度空を飛ぶ夢を捨てきれなかった。
それから10年。通産省は、昭和32年に日本人の手による旅客機開発をぶちあげ、プロジェクトチーム「輸送機設計研究協会(輸研)」を結成した。集まったのは、土井をはじめとする50歳を過ぎた「戦闘機」組と、飛行機に乗ったこともない20代の若き技術者だった。両者は、はったりまじりの完成模型(モックアップ)を作り上げ、頭から信用しなかった政府から予算を獲得していった。
YS−11開発が緒に付いた昭和34年までを前編として描く。

出演:松本零士(漫画家)/園田寛治(元輸研メンバー)/二木康夫(元輸研メンバー)

翼はよみがえった2YS-11・運命の初飛行

「せめてね、10年に一度くらいでもいいから、5年に一度ならなおいい、10年に一度くらいああいうものを作ってね、人をつなげていかなきゃ。」土井武夫

完成模型(モックアップ)の完成後、本格的な設計に入ったYS−11。
「戦闘機組」と若者の間に立って、実質的に設計を主導した男がいた。東條英機の次男で、新三菱重工の技術部次長だった東條輝雄だった。
欧米とのギャップを熟知していた東條は、「輸研」の設計の誤りを正し、YS−11の試作機を完成させる。昭和37年、戦争から17年の空白の後、日本の翼が初めて空を飛んだ。
しかし、試作機は横安定性などの問題を抱えていた。それを克服したのは、あえて東條の部下になり設計に協力し続けた土井武夫と、東條のもとで鍛えられていった若手技術者だった。
昭和40年、ついにYS−11は就航。誰もが不可能と思っていた航空技術の伝承は果たされた。しかし、その伝統はそれ以降、途絶えたままになっている・・・。
YS−11の成功と挫折を、後編として描く。

出演:松本零士(漫画家)/園田寛治(元日航製社員)/鳥養鶴雄(元日航製社員)

日本初のマイカーてんとう虫、町をゆく〜家族たちの自動車革命〜

「技術の前には、上司も部下もない。俺にアイディアをぶつけろ。」百瀬晋六

昭和30年代、一軒家と同じほど高価だった「自動車」をサラリーマンでも買えるほど安価にし、「マイカー」という言葉を誕生させた画期的な車スバル360。次々と立ちはだかる壁を前に、技術者たちを奮い立たせたのは家族への想いだった。

出演:小口芳門(元富士重工業足回り担当)/小林伸光(元富士重工業バネ担当)

通勤ラッシュを退治せよ〜世界初・自動改札機誕生〜

「どんな小さな妥協も、私たちの都合のためには、許さない」田中寿雄

高度経済成長下の昭和30年代、「不可能」と各メーカーがしり込みする自動改札機の開発に果敢に挑んだのは立石電機(現オムロン)の若手技術者たちだった。難題に次ぐ難題に立ち向かい、8年を費やしてその第一号機は完成した。磁気の技術に革命を起こした自動改札機の開発物語を描く。

出演:田中寿雄(元立石電機中央研究所)/浅田武夫(元立石電機中央研究所)

運命のZ計画〜世界一売れたスポーツカー伝説〜

「私の理想をかなえてくれた、ひとつのクルマですよ。」片山豊

昭和44年、一台の日本製スポーツカーが登場した。フェアレディーZ。発売後たちまちアメリカ市場を席巻し、スポーツカーとしては世界一、140万台の売上を記録した伝説の名車である。その開発の陰には、日の当たらない部署で仕事に打ち込んでいた自動車マンたちの執念があった。
昭和35年、一人の男がアメリカに渡った。片山豊、50歳。日産自動車で宣伝畑を歩いていたが、突然渡米を命じられた。当時、日本車は輸出が始まったばかり。片山は売り込みに走るが、「日本車はハイウェイを走るとすぐ故障する」「デザインも陳腐」と言われ、在庫の山がほこりをかぶっていた。
ある時、片山はスポーツカーに目をつける。ポルシェやジャガーなど人気のスポーツカーは、庶民には高嶺の花。「手頃な値段で高性能なスポーツカーを作れば、きっと売れる。」
しかし、当時日本では大衆車が主流。スポーツカーなど売れないといわれていた。その時、立ち上がったのは、遊園地のゴーカートを作っていた若手デザイナー、特殊車両専門の設計者たち。皆、いつかは自分の手で花形の車を作りたいとの思いを秘めていた。
開発は、デザインとハードの激しいせめぎ合いとなった。デザイナーが思い描いたのは、低い流線型の斬新なシルエット。しかし、新型6気筒エンジンを積み込むと、ボンネットに収まらず出っ張った。さらに特徴的な短い後部のために斜めに取りつけたシャフトのせいで、斜体は激しく振動した。メンバーは試行錯誤を重ね、アメリカのフリーウェイでテスト走行を繰り返す。
全くの手探りで開発に挑んだ日本製スポーツカーが、世界的評価を獲得するまでの知られざる自動車マンたちのドラマを描く。

出演:片山豊(元アメリカ日産)/松尾良彦(元日産自動車)/植村齊(元日産自動車)

制覇せよ世界最高峰レース〜マン島・オートバイにかけた若者たち〜

「そうだと思いこんだら、しゃにむに突き進む。あいつがあそこまでやるなら、おれだって負けるか、と。」河島喜好

昭和36年、日本製のバイクが世界の度肝を抜いた。オートバイのオリンピック「マン島TTレース」で、ホンダのマシンが1位から5位を独占した。日本初の快挙の裏には「友の夢を果たす」という男達の誓いがあった。
昭和29年、本田技研工業は経営危機に陥っていた。不況と相次ぐマシントラブルへのクレーム。ある日、本田宗一郎はみかん箱の上に立つと従業員の前で宣言した。「オートバイのオリンピックがあるぞ。イギリス・マン島のTTレースに出場する。」
レース用のマシンの開発は河島喜好ら若き技術者に託された。斬新なアイディアを盛り込み試作したエンジンは、思うように動かなかった。ライダーは社内から公募した。限界までコーナーを攻め続ける秋山邦彦。しかし出場した前哨戦は惨敗だった。
開発から5年、マン島へ旅立つ直前、悲劇が襲った。映画の撮影に協力するため箱根を走っていた秋山が、トラックと正面衝突。帰らぬ人となった。河島たちメンバーは、秋山の遺髪をマン島のコースが見渡せる小高い丘に埋め、優勝を誓った。
しかし、結果は最高6位。ヨーロッパ車との性能の差は歴然だった。それから2年、技術者たちはマシンの開発に全てを賭けた。1000分の1秒の狂い無く動く4バルブエンジンの設計。8万通りを数えるギアの組み合わせ。そしてライダーたちは、石をつめたリュックをかつぎ、高速コーナーに耐えうる足腰を鍛えた。そして昭和36年6月12日、秋山の志を胸に運命のスタートラインに立った。後に「まるで時計のように精密なエンジン。独創的なアイディアに満ち溢れている。」と世界から絶賛されたマシンが、出走の時を待っていた・・・。

出演:河島喜好(元本田技研工業)/久米是志(元本田技研工業)

われら茨の道を行く〜国産乗用車・攻防戦〜

昭和25年、主力商品のトラックが売れず、倒産の危機にあった「トヨタ自動車」が、初の本格国産乗用車「クラウン」の開発に挑んだ。「自動車王国・日本」誕生の壮絶なドラマを伝える。

われら茨の道を行く〜国産乗用車・攻防戦〜われら茨の道を行く〜国産乗用車・攻防戦〜

不屈の町工場 走れ魂のバイク

日本最大のバイクレース「鈴鹿8時間耐久」で、大メーカーに立ち向かい、勝利を重ねた小さな町工場「ヨシムラ」。「ゴッドハンド」と呼ばれた親父とその家族の壮絶な物語を描く。

不屈の町工場 走れ魂のバイク不屈の町工場 走れ魂のバイク不屈の町工場 走れ魂のバイク

100万座席への苦闘〜みどりの窓口・世界初鉄道システム〜

鉄道大国・日本の長距離移動を支える「みどりの窓口」。情報化時代に先駆け、日本で始めてのオンラインシステムの実用化に執念を燃やした人々の苦闘を描く。

ロータリー47士の闘い〜夢のエンジン・廃虚からの誕生〜

夢のエンジンといわれてきたロータリーエンジンの量産を、世界で初めて成功した「マツダ」。原爆で家族を失った男たちが、故郷の復興を願い成し遂げたロータリーエンジン開発のドラマを描く。

ロータリー47士の闘い〜夢のエンジン・廃虚からの誕生〜ロータリー47士の闘い〜夢のエンジン・廃虚からの誕生〜ロータリー47士の闘い〜夢のエンジン・廃虚からの誕生〜

ラストファイト名車よ永遠なれ

昭和41年、日本最高峰のカーレース「日本グランプリ」で頂点に立った小さな後発メーカー「プリンス自動車工業」。国際競争の荒波と合併の危機を、その技術力で乗り越えた男たちの伝説のラストファイトを描く。


49,400円税込